岡山県:児島湾の奥を干拓してできた「準あはら型集落」
地形の特徴

干拓,耕地整理,宅地整理,人工地盤,準あはら型集落,集落空間

地形図(標高段彩図)とシームレス地質図の三次元イメージ:児島湾の奥(部分)
三次元地形図上でマウスクリックすると「1/20万 シームレス地質図(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。

江戸時代の初め頃,「児島湾」は小島半島に囲まれた,長さ約15km最大幅約10kmの内湾でした。
「吉井川」や「旭川」などの大きな河川から運ばれてくる大量の土砂が堆積するので,広大な「干潟」がひろがっていました。
江戸時代以降,遠浅の干潟を干拓して農地を増やす事業が盛んにおこなわれる一方,
農業用水などの需要を賄うために,児島湾の奥を締め切って淡水湖が作られました。 現在の「児島湖」です。
微地形と集落空間 : 干拓の歴史と人工的に建設された集落群

① 1890年代の半ば以降の地形図では,児島湾最奥部の海岸の一部が直状を呈しています。 これは江戸時代に行われていた干拓事業の結果です。
② 太平洋戦争開始前の段階で,かなりの「干潟」が干拓によって陸地化しました。 「藤田組(現・DOWAホールディングス)」による干拓事業の結果です。
③ 太平洋戦争終了後約20年が経過した時点で,児島湾奥の干潟などは殆ど干拓される一方,海面は締め切られて「児島湖」となりました。
④ 更に20年が経ちましたが,干拓地の外形上の変化は認められませんが,民家群が増えているような感じがします。
⑤ 最新の地形図でも,干拓地の大枠は変わっていないことが確認できます。
しかし⑥のように地形図を拡大すると,水田の間に民家がかなり多いことがわかります。

【微地形と集落空間】

  • 「齊木(1986)」によると,「あはら(上代語)型集落」とは「低湿な低地の氾濫平野で,沼地や河川沿いの低湿地に人工盛土を行って形成された集落」とされています。
  • あはらは低湿地限定の用語なのですが,近代においては低湿地の地盤改良よりも,内湾などの浅い海を干拓して新しい地盤を作り出す方がはるかに多いと思われるため,あはらに準ずる形(番外)で取り上げることにしました。
  • 編集部では,地形図に記載されている「干拓地に形成された大規模集落(町屋)」は,「あはら型集落」に準じていると考えています。
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