沖縄戦で使用された防空壕(地下壕)とガマ
このサイトについて
  • 第二次世界大戦(太平洋戦争)のうち,国内で唯一地上戦闘が行われた沖縄本島には,多数の防空壕(特殊地下壕)が構築されました。
  • 事務局では,これらの遺構を後世に伝えるべく,特集ページ「沖縄戦の記憶(ガマと地下壕)」を編集・公開しています。
  • 本ページでは,上記特集ページで取り上げた中から,主な防空壕(ガマやアブ含む)を,三次元地形イメージ上にマークしたものです。
  • 当時,戦況がますますひっ迫する中,どのような地形環境の所に急ごしらえの防空壕を構築したか,を想像する一助になれば幸いです。
  • 各三次元地形イメージは,Kashmir3Dの機能を使用して作成しました。 各防空壕の位置(赤い円マーク)は,坑口の推定位置情報(緯度・経度・標高)を入力して,自動プロットさせているので,見えない場所はマークされていません
    従って,マークが表示されていなくても,向こう向きの崖の下に防空壕が存在する場合がありえます。
  • 個々の防空壕に関するページが用意されています。 こちらから一覧表を表示し,それぞれの地下壕のリンク(画像)をクリックしてください。
    また,本ページ上で各防空壕(地下壕)の名称が記載されている場合は,その名称に各地下壕の紹介ページへのリングが設定されています。
沖縄島の南部地域
‼注意‼地図上で1回クリックすると,産総研・地質調査総合センターの「5万分の1 地質図幅(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。

水色から青色に塗られている範囲は「石灰岩台地」です。 標高の高い所ではなくても,鍾乳洞(ガマ)は存在します。
その中で規模の大きなカマは,防空壕(特殊地下壕)として利用されました。
一方,「小禄砂岩部層(通称,ニービ)」などは,較的柔らかい地質のため,比較的大きな軍用地下壕を掘削することができました。
地質図の凡例はここです。 ➡ 那覇及び沖縄市南部    ➡ 糸満及び久高島
那覇市北部・中部
‼注意‼地図上で1回クリックすると,産総研・地質調査総合センターの「5万分の1 地質図幅(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。

この地域で最も多く構築されたのは,琉球王国の首都であった「首里」とその周辺です。
首里地区はこの周辺で最も標高が高い子手もあって,更新世中期頃のサンゴが固化してできた「琉球石灰岩」層が分布しています。
ガマ(鍾乳洞)をそのまま防空壕(地下壕)として利用したケースもありますが,ガマに手を加えて構築された防空壕も数多く存在しています。

本地形図の範囲は,「首里城」の近辺とその南側に広がる「繁多川地区」~「識名地区」で,事務局が勝手に「那覇市北部」と命名した地域です。
大規模地下壕は「Na01:第三十二軍司令部地下壕」,「Na25:イシダーヌガマ」,「Na38:県庁壕(しっぽうじぬガマ)」,「Na43:希望ヶ丘公園地下壕
や「Ha02:ナゲーラ壕(南風原町参照)」などですが,いずれの地下壕とも,坑口が土砂や鉄柵で塞がれているため,立ち入ることはできません。

本地形図真範囲は,国場川の左岸に広がる台地で,,事務局が勝手に「那覇市中部」と命名した地域です。
規模の大きな地下壕は,「Na28:石部隊野戦病院分院の壕(識名の壕)」,「Na.44:城岳公園の壕」などですが,
那覇市北部と同様にいずれの地下壕とも,坑口が土砂や鉄柵で塞がれているため,立ち入ることはできません。
那覇市南部・豊見城市
‼注意‼地図上で1回クリックすると,産総研・地質調査総合センターの「5万分の1 地質図幅(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。

国場川最下流部の左岸には「小禄砂岩部層(通称,ニービ)が,「海成台地」となって分布しています。
この地層は極めい軟らかく,人力でも大規模の地下壕を掘削することができ,その殆どが海軍壕として構築されました。
大規模地下壕の中でも「To01:海軍司令部壕」,「Na51:ことぶき山海軍壕」,「Na.52:田原の壕」,「Na.60:小禄中学校北側の壕」,
Na.61:安次嶺金満御嶽地下の壕」及び「Na.58:真玉御嶽の壕」等は,特に大規模で有名です。 注 Na63は所在が不明です。
南風原町
‼注意‼地図上で1回クリックすると,産総研・地質調査総合センターの「5万分の1 地質図幅(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。

南風原町域は,琉球石灰岩ではなく,それより年代の古い新第三紀中新世~鮮新世の「豊見城層(主に砂岩)」と
鮮新世の「与那原層」と呼ばれる「シルト岩(泥岩かも?)」から構成されています。 何れも人力で掘削が可能な「軟岩」です。
Ha01:沖縄陸軍病院院 南風原壕群 20号」は,米軍上陸直前から第三十二軍司令部が摩文仁に移転するまでの間,軍直属の病院として使用しれました。
Ha02:ナゲーラ壕(第六十二師団野戦病院壕)」は,沖縄自動車道那覇ICの近くの川沿いに掘削されています。
Ha03:第三十二軍司令部津嘉山豪」 は,住民や学生を大量動員して構築されましたが,天盤強度に不安が出たという理由で,首里に移動してしまいました。
糸満市
‼注意‼地図上で1回クリックすると,産総研・地質調査総合センターの「5万分の1 地質図幅(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。

現在の糸満市域には,「南部戦跡」を代表する「防空壕(地下壕)」が数多く残されています。
その全てが,断層崖で仕切られた「琉球石灰岩」の「ガマ(鍾乳洞)」や「アブ(ドリーネ)」を利用して構築されました。
中でも,「It02:白梅之塔 下の壕」,「It06:轟の壕」,「It09:アンディラガマ」,「It10:アンガー(千人壕)」,「It16:アブチラガマ」,
It17:チブラーアブ(伊原第三外科壕・ひめゆりの塔)」や「It19:マヤーアブ(マヤーガマ)」等は,「南部戦跡」として極めて有名です。
糸満市・八重瀬町
‼注意‼地図上で1回クリックすると,産総研・地質調査総合センターの「5万分の1 地質図幅(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。

Ya01:クラシンジョウの壕」は,旧具志頭村の断崖を構成する岩稜が,東に尽きる位置にあるガマ(鍾乳洞)を利用した防空壕です。
Ya02:ヌヌマチガマ・ガラビガマ)」は,この付近で最も高い台地に形成されたガマを利用した病院壕でした。
八重瀬町には,南部海岸に唯一と言っていいほどの浜(実際は,低い崖)が存在します。 元々鍾乳洞であった「雄樋川」の河口があるためです。
高い絶壁が無いので海から近いというこの地(港川)において,「港川人」という南洋(ポリネシア?)由来の古代人の骨が発掘されました。
南城市
‼注意‼地図上で1回クリックすると,産総研・地質調査総合センターの「5万分の1 地質図幅(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。

南城市の南部地域は,標高の高い「海成段丘」は,いわゆる「琉球石灰岩」で構成され,低地はそれより新しい「与那原層」が堆積しています。
Nan01:糸数アプチラガマ」は,旧玉城村の村役場や「糸数城址」の近くにある,比較的巨大なガマ(鍾乳洞)です。
戦時中,陸軍の病院として利用されましたが,死傷者の多かった防空壕として有名です。
Nan02:前川ガンガラー(イキガ洞)」は,「雄樋川」の暗渠部です。 すなわち,鍾乳洞の中を「地上の川」が流れている,という珍しい場所です。
主な引用情報と参考情報

【引用情報】

【参考情報】