小禄中学校北側の壕(No.60)那覇市宇栄原2丁目
概略位置図

マーカーは,坑口の概略位置を示しています
現場写真 : 小禄中学校北側の壕

2009年 7月当時の坑口。 文献の記述通り,壕の中には水が溜まっていました。

壕内は,滞留水によって鏡のようになっていました。 右側には部屋か分岐があります。 撮影:2009年 7月。

フロート付きのカメラでの撮影(2枚合成:縦横比は正確ではありません)。
左の壁には支柱用の縦溝が掘られており,壁にはつるはしの掘削痕が明瞭に残っていました。
左の通路は,数十メートル先までつながっており,右の通路は空気穴に繋がっていました。 撮影:2009年 7月。

(左)地質がニービ(海生の小禄砂岩)のため透水性が高く,ニービに含まれていた石灰分が地下水に溶けて鍾乳石化しています。
(右)クチャ層は不透水性なので,このように水を貯めることができます。 中学校のグランドに降った水が,ニービ層を通過してここに溜まっているのです。
撮影:2009年 7月。

対策工事に伴って,空洞部分は埋められると共に,壕内の滞留水の排水処理工事も行われました。 撮影:2010年10月。

中学校の斜面工事(フリーフレーム+コンクリート吹き付け工)の完成により,本地下壕への立ち入りは完全に不可能となりました。
滞留水の排水パイプは,フリーフレーム+コンクリート吹き付け工の排水パイプへと接続されているようです。 撮影:2018年 5月。
記事
  • 写真によると,天盤が大きく崩れています。
    しかし,崩れている天盤には鍾乳石が発達しています。
  • このことから,「天盤は掘削直後に崩落したが,その後60年以上ほぼ安定であった。」と評価できます。
  • 鍾乳石の大きさから推定すると,1年間に1mm程度成長したようです。
  • 文献の記載にある「生コン」とは,小禄中学校の校庭を整備する過程で発見された坑口を閉鎖した時のものと思われます。
  • 本地下壕は,2010年度と2011年度の2箇年にわたり,コンクリート系材料(エア・モルタルか)による充てん工事が行われ,地下壕としては消滅しました。
  • 那覇市内には,本壕の他にもNo.38(県庁壕)やNo.61(安次嶺金満御嶽地下壕)など,5箇所程度の地下壕に,湧水による水たまりが見られます。
  • You Tube に工事記録の動画がアップロードされています。「特殊地下壕対策 (№60,61宇栄原)埋戻し工事」で検索してみてください。

You Tube  より。
引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日(調査番号):1993年7月20日(No.60)

  • 様 子 : 全長約80m。 入口1ヵ所。 石灰水がにじみ出て壕全体がコンクリート状になっている。
        入口から約12m,深さ50cmの水がある。 奥の方は最近のものと思われる生コンが流しこまれている。
        遺骨や遺品が石灰水とコンクリートで地面にくっつき,足の骨がそのまま残っている軍靴があった。
        遺骨はまだ残っている可能性がある。
  • 形 態 : 構築
  • 使用者 : 日本軍
  • 遺 体 : 1体
  • 遺 品 : 薬ビン,ビールビン(大日本),缶詰の空き缶,石鹸箱,軍靴,瓦
  • 土 質 : ニービ,クチャ,琉球石灰岩
引用情報・関連情報

引用情報

関連情報

  1. 那覇市立教育研究所の公開資料(小禄地区 No.11)