ことぶき山海軍壕(カテーラムイ:巌部隊)(No.51)那覇市田原3丁目
概略位置図

マーカーは,坑口の概略位置を示しています
現場写真 : ことぶき山海軍壕(カテーラムイ:巌部隊)

壕の入り口(坑口①)。 那覇市の公園管理課によって常時施錠されています。 撮影:2014年06月。

坑口のひとつに建てられている案内板(撮影:2014年6月)。 文献では「坑口は8箇所」とあり,坑道が複雑に入り組んでいるようです。

案内板が立っている「坑口①」からの内部。 棚が掘削されています。 電灯線は戦後設置されたものだそうです。
天盤が崩落していますが,石灰化やコケなどが付着しているので,戦後まもなくに発生した現象でしょう。

裏に回ると,坑口が沢山現存しています。 案内板の「坑口②」です。

公園の内にも数箇所の坑口があります。 これはその一つで,案内板から左回りに3番目の「坑口③」です。

公園の中にも数箇所の坑口があります。 左は「坑口⑤」で,右が「坑口④」です。

「坑口④」の内部です。 終戦後に取り付けられたという電線と電球がそのまま放置されています。
地下壕はやや右に曲がっており,左への分岐壕も確認できます。

「坑口⑤」の内部です。 案内図に記載されている階段は土砂で埋まっています。 また,大量のゴミが堆積しています。
坑口近くに投げ捨てられたゴミが,大雨の時に土砂とともに奥まで流れ込んだのでしょう。

「坑口⑥」はこのスロープの下では無いかと思います。 埋め戻されたという情報は無いので,どうなっているか気になるところです。
記事
  • 「田原公園」内の小高い丘全体が「ことぶき山海軍壕」です。 案内板や坑口の様子から,海軍司令部壕に準ずる規模であったことがわかります。
  • 現在の那覇空港は,戦争当時「海軍小禄飛行場」と呼ばれており,本壕は比較的近いことから,「巌飛行隊の司令部」が置かれていたものです。
  • 比較的良好な状態を保っているようなので,後世まで残しておきたい地下壕です。
  • 案内板から地下壕の位置図を抜き出して,国土地理院の電子国土(地理院タイル)にオーバーレイしました(2016年3月,2018年改)。
  • 案内板の位置図と電子国土には直接的な関係は無いので,すなわち,測量を行って整合性を取っていないため,右の地図はあくまでも「見取り図」です。
  • 案内板の立っている坑口は,右の図で①です。
引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日(調査番号):1993年9月12日(No.51)

  • 様 子 : 全長約300メートル。 入口が8ヵ所あったが現在4ヵ所落盤。
         コンクリートや漆喰を塗られた所もあり頑丈に造られている。 那覇市公園緑地課が管理。
  • 形 態 : 構築
  • 使用者 : 日本海軍
  • 遺 品 : なし
  • 土 質 : ニービ,クチャ,琉球石灰岩
引用情報・関連情報

引用情報

関連情報

  1. 「ことぶきやま(カテーラムイ)」,沖縄の戦跡ブック『ガマ』,p.66,沖縄県高教組教育資料センター編集,2009年,ISBN978-4-903042-16-9
  2. 「ことぶき山壕」,沖縄の戦争遺跡,p.32,沖縄県平和祈念資料館編集,2007年,ISBN978-4-903042-14-5
  3. 「i.ことぶき山壕 」,沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅳ),沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書第5集,p.56.,2004
  4. 那覇市立教育研究所の公開資料(小禄地区 No.8)