沖縄県のガマと地下壕:県庁壕(しっぽうじぬガマ) No.38;那覇市真地(識名霊園)
写真撮影:2008年3月~2018年5月

県庁壕(しっぽうじぬガマ)の入口。 以前は誰でもお参りができましたが,現在では柵・施錠付きになりました。

地下壕に入るとすぐ目に付く「大石柱」。 手前には拝壇が置かれています。 この写真は,四枚繋ぎのパノラマです。 撮影:2013年1月。
左向き矢印の先は,戦時中に人工的に掘削した地下壕が延びています。  また,右側の一段低いところの奥に「四方地・・・(後述)」の碑があります。
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正面の石柱の背後にある大空洞。 空洞の中央にも石柱があり,拝壇が置かれています。 撮影:2013年1月。

坑口の右下奥に祀られている御嶽(うたき)。 「四方地地根母君神がなし」と読めます。「しっぽうじぬガマ」の由来です。 撮影:2013年1月。
ペットボトルが置き去られていました。

戦争のために人工的に掘削した部分です。 撮影:2008年3月。
天盤は琉球石灰岩ですが,壁の下半分と床は「クチャ」と呼ばれる泥岩なので,掘りやすかったのでしょう。

(左)上の写真の突き当りです。 井戸が掘られています。 その手前も,天盤から崩落した岩石が堆積しています。
(右)壕内の最奥部では,天盤が剥がれ落ちています。 このまま見学壕としては利用できません。  撮影:2013年1月。

坑口(B)です。 ゴミが投げ込まれていることがわかります。 2016年に地上から確認しました。  撮影:2008年3月。

裏口(B)の案内板です(矢印の先が坑口)。 随分ゴミが投げ込まれています。
閉鎖前の2008年に,壕の中からこの近くまで来たので,8年振りです。  撮影:2016年4月。
記事

閉鎖中で,許可の無い場合は立ち入りはできません。

・この壕は永らく出入り自由のようでしたが,編者が入壕した2013年3月以後,柵が設置され施錠されてしまいました。
 鹿児島県の地下壕の中ででたき火をした中学生3名が一酸化中毒(酸欠?)死亡した事件を契機として,政府が打ち出した「地下壕は原則立ち入り禁止」という方針に沿った安全対策上のことと思います。

・那覇市内には,豊見城市との境界にある海軍司令部壕の他には,管理された地下壕やガマはありません。
 修学旅行生を対象とする地下壕というと,糸数壕など平和祈念公園に近いところにも数多く存在し,玉砕寸前と言う時期的な経緯もあって,多くの学生は南部戦跡に行くものと思います。
 しかし,那覇市内にも県庁壕のような戦争遺跡が存在するわけですから,今後自由な入壕は出来なくても,安易に埋め戻すようなことはせず,後世に残して貰いたいものです。

・2016年4月に再訪しました。 今回の成果は裏口(坑口B)を見つけたことです。 ゴミが投げ込まれており,その点では無残です。
 多くの人が亡くなっているはずなのに。

・2018年5月に再々訪しました。 壕の周囲には,石灰岩地帯特有のドリーネが点在しています。
 記録では「複数の入口があった」と記載されているので,これらのドリーネのどれかに坑口が設けられていたことでしょう。
 壕内の正確な測量図面があれば,判明することではあります。

引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日:1992年10月18日,1993年2月28日 No.38
 ・様 子:全長約130メートル。 入口2箇所の内1箇所落盤。 自然洞窟を一部構築(約50メートル)。
      シンメーナービ(大なべ)用のカマド2ヵ所,普通サイズのカマド3ヵ所。 水が満杯の井戸。 火炎放射の跡。
 ・形 態:自然壕構築
 ・使用者:民間・警察・県庁
 ・遺 品:火炎放射で変形したビールビン,炭化した石鹸やカンパン,石灰水で石のように固まったビールビンや缶詰の空き缶
 ・土 質:琉球石灰岩,クチャ(編者)

関連情報

① 那覇市立教育研究所の公開資料(真和志地区 No.17)
② 「シッポウジヌガマ(県庁壕)」,沖縄の戦跡ブック『ガマ』,p.64,沖縄県高教組教育資料センター編集,2009年,ISBN978-4-903042-16-9
③ 「県庁壕」,沖縄の戦争遺跡,p.32,沖縄県平和祈念資料館編集,2007年,ISBN978-4-903042-14-5
④ 沖縄タイムス: 県庁壕壊される 文化財目指す那覇市憤慨:
    那覇市が市文化財指定を目指す県庁・警察部壕(ごう)=同市真地=の一部で壁や床などが壊されていることが29日、分かった。・・・・・・。
⑤ 県庁・警察部壕「しっぽうじぬがま」:
   昨夜「沖縄の島守」を読み、記事を投稿した後なかなか寝付けず、朝になってしまったので、作品の現場となった県庁・警察部壕へ出かけました。
⑥「f.シッポウジヌガマ 」,沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅳ),沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書第5集,p.51.,2004

最終編集日:2020年3月15日