沖縄県のガマと地下壕:石部隊野戦病院分院の壕;那覇市識名4丁目
写真撮影:2013年 1月,2016年 4月,2018年 5月

病院(分院)として使用されたガマの入口(坑口)。 千羽鶴などは修学旅行の生徒が備えたものでしょう。  撮影:2016年4月。
360度パノラマビューかこちらにあります。 是非,ご覧下さい。

坑口部分を中から見たところです。 左のブロックは拝所と拝壇です。 クチャの床はしめっており,かなり滑る状態です。 撮影:2016年4月。

天盤や壁で茶色く変色している部分は,戦後に崩落したと思います。 天盤は煤だらけで,比較的安定しているようです。
修学旅行の生徒が体験学習で入る壕のためか,床はかなり締め固められています。    撮影:2016年4月。

誰でも自由に入れる壕のせいでしょうか,「死」の落書きが2013年1月に確認できます。
事務局では2018年5月にも撮影しましたが,スプレー文字は風化もせずに残っています。

(左)奥に続く鍾乳洞その1。 鍾乳石が切り取られていますが,切断面もすすで汚れているので,壕として使う際に,と思います。 撮影:2018年5月。
(右)奥に続く鍾乳洞その2。 5mほどでその1に繋がっています。 赤茶けた壁の部分は、戦後に崩壊したものでしょうか。 撮影:2018年5月。

遺品と思われるものが並べられていました。 1フィートの会の報告では無し,とありますが。 撮影:2018年5月。
工具らしき鉄製品は,明らかに新しいもののようですが,どのような状態だったかがわからないので,判定できません。

360゜パノラマビューです。 画像をクリックすると拡大画像を表示します。 「CC BY」ライセンスで公開します。
撮影:2018年5月。 [利便性のために,動画から静止画に変更しました。]
記事

・「識名の壕」とか「識名壕」として呼ばれているガマです。 本土の高校や中学校の修学旅行では,戦争体験のためにしばしば利用されているようです。

・煤で黒くなっているところは米軍の火炎放射器で焼かれた跡,茶色のところはその後崩落によって色が落ちたのではないかと考えています。

・御嶽(うたき)の拝壇はガマの中にあるせいか,施錠などはされていないので誰でも自由に入れます。  それの悪しき例が写真に写っています。

・ここは,遊びの場ではありません

引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日:1992年10月18日 No.23
 ・様 子:民家の下,全長約20メートル。 入口1カ所。 奥の方は土砂が流れ込んでいる。 拝所。
 ・形 態:自然壕
 ・使用者:野戦病院
 ・遺 品:なし
 ・土 質:琉球石灰岩

関連情報

① 「識名壕」,沖縄の戦跡ブック『ガマ』,pp.66-pp.67,沖縄県高教組教育資料センター編集,2009年,ISBN978-4-903042-16-9
② Okinawa caving & gama guide [識名壕]
③ 那覇市立教育研究所の公開資料(真和志地区 No.3)

最終編集日:2020年3月14日