パナマ帽の壕 No.14;那覇市首里崎山町4丁目
写真撮影:2015年3月

「パナマ帽子工場跡」の碑。 撮影:2015年3月。

「パナマ帽子工場跡」の右隣のガマです。 ブロックも煤けているので,お墓としても使用されていたことがわかります。

パナマ帽の碑の周囲には,このようなガマが随所に存在します。
記事

・那覇市の東側をぐるりと取り巻く環状2号線(県道82号那覇糸満線)。
 上間交差点から首里に向かって急な坂を登り,金城ダムに繋がる交差点が近づくと,左の丘の麓に無数のお墓が立ち並んでいる情景が目に飛び込んできます。
 このお墓の背後は琉球石灰岩の急崖となっており,「ガマ」と呼ばれている鍾乳洞が散見されます。

・古い時代,ガマはお墓として利用されて来ましたが,太平洋戦争時代末期,空襲や艦砲射撃,上陸戦が始まるとこれらのガマは防空・避難壕として利用されました。

・いずれのガマも大量の煤で汚れています。 戦争当時の「火炎放射機」によるものか,戦後に行われたお祈りの際に付いたものか,よくわかりません。

引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日:1993年10月10日 No.14
 ・様 子:約4メートル四方の自然洞窟。 材木が捨ててある。
 ・形 態:自然壕
 ・使用者:未確認
 ・遺 品:なし
 ・土 質:琉球石灰岩

関連情報

2021年9月2日 注:教育研究所No.13 の記述は,本WebページのNo.13とNo.14を合わせたもののように思います。