留魂壕,竹林壕 No.2;那覇市首里当蔵町3丁目
記事

・留魂壕は,国営沖縄記念公園事務所首里出張所が管理しています。
 2014年6月3日には,「国と県との協議によって保存・公開される」との報道がありました。

・留魂という名前の由来は,吉田松陰の「留魂録」だそうです。
 沖縄新報社と沖縄県立師範学校男子部の職員と生徒,合わせて500余名が使用していました。

 ※地図上の位置は不正確です。

引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日:1992年12月12日,1993年6月20日 No.2
 ・様 子:全長約150メートル。 入口1ヵ所。 留魂壕と民間壕がつながっている。 民間壕は竹林壕とよばれた。
      1フィート運動の会が,92年12月民間壕より掘り出したもののなかに,戦前首里城北殿の郷土博物館にあったと思われる朝鮮古瓦,明瓦,染付片,
       盃(薩摩沈寿官製),大盤,茶碗などがあった。 壕に入るには県と琉大の許可が必要。
 ・形 態:自然壕・構築
 ・使用者:男子師範,新聞社,民間
 ・遺 品:ビール瓶,坑木,硯,茶碗,ボタン,歯ブラシ,櫛,弁当箱,湯飲み,さかずき,水枕のパッチン,薬瓶,糸切りバサミ,水筒の蓋,
      広口ビンの蓋,靴ベラ,カバンらしき物,「わかもと」の薬ビン,壺のかけら,「組合目薬」と書かれたビン
  ・土 質:琉球石灰岩

関連情報

① 那覇市立教育研究所の公開資料(首里地区 No.2)
② [留魂壕]師範生の安らぎの場,琉球新報,1992年6月22日 掲載
③ 「留魂壕」,沖縄の戦跡ブック『ガマ』,p.64,沖縄県高教組教育資料センター編集,2009年,ISBN978-4-903042-16-9