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【投稿者:矢島 道子氏】
はじめに
「夏が来れば思い出す,はるかな尾瀬,遠い空」と口ずさむと美しい尾瀬ヶ原の風景とミズバショウの花が浮かんできます。
ところが,尾瀬ヶ原がどんなふうにできたかなど,その地質学的な情報は,なかなか浮かび上がってきません。
私も,地質学を学んだ身なのに,尾瀬ヶ原を歩きながら,尾瀬ヶ原は地質学的にど ういうふうにできたのかなど考えても見ませんでした。
今,「尾瀬ヶ原の生い立ち」を調べてみると,大変おもしろいので,尾瀬ヶ原を歩く多くの方にも知ってほしいと思い,ペンをとりました。
燧ケ岳はどうやってできたか
尾瀬ヶ原を歩いていて,天気がよければ燧ケ岳が美しく光って見えます。
尾瀬ヶ原をめぐる山々の中で,燧ケ岳が1番新しくできました。
最後に噴いたのは, つい500年前という火山です。
尾瀬ヶ原から燧ケ岳の頂上付近を見ると,でこぼこしています。
左から柴安グラ(2,356m)・マナイタグラ・御池岳(M)・赤ナグレ岳と名前がついています。
これは,燧ケ岳が1回の噴火でできあがったのではなく,何回もの噴火の結果出来上がった証拠です。
燧ケ岳を構成している岩石を採集して,岩石を構成している鉱物の性質や,放射性年代測定をして研究してみると,燧ケ岳の最古の噴火は約35万年前という数字を示します。
安山岩が溶岩,泥流,軽石,など形を変えて,次から次へと噴火をして,現在の形を作ったことがわかります。
尾瀬ヶ原や尾瀬沼はどうやってできたか
燧ケ岳は噴火活動を続けているうちに,ふもとを流れている只見川をせき止めて,湖を作りました。
今から1-2万年前のことです。 この湖に周囲の山から来た土砂が堆積し,湖はだんだん浅くなりました。
水中植物が成育し,そして湿原ができました。 植物はその一生を終えても,枯れてなくならずに湿原中に堆積して,泥炭化しているものも多くあります。
尾瀬ヶ原はこの泥炭や最近の噴火の火山灰で次第に埋められてきました。
尾瀬ヶ原の隣の尾瀬沼のほうは,燧ケ岳から南に流れ出た溶岩が皿伏山にふもとに達し,川をせきとめて沼を作ったといわれています。
ほかの山々
尾瀬ヶ原は山々にぐるりと囲まれています。
燧ケ岳から始まって時計回りに,皿伏山(さらふせやま),少し遠くに見える荷鞍山(にくらやま),菖蒲平(アヤメだいら),至仏山(しぶつさん,2228m),ススケ峰,景鶴山(けいづるやま)などがあります。
燧ケ岳のほぼ反対側に見える至仏山は,蛇紋岩というツルツルした岩石でできています。
蛇紋岩は,この地域では非常に古いジュラ紀に地下深くから地上に上がってきたといわれています。
皿伏山,荷鞍山,アヤメ 平,ススケ峰,景鶴山は,輝石安山岩からできている,薄い扁平な楯状火山です。
景鶴山は中でも古く,皿伏山,荷鞍山,アヤメ平はどちらかといえば,新しい ほうです。
中でもアヤメ平には比較的厚い溶岩流が見られます。
尾瀬が原の下はどうなっているか
尾瀬ヶ原とそのまわりの火山群を支えている基盤はどうなっているのでしょうか。
いろいろな調査の結果,次のような歴史が考えられています。
中生代ジュラ紀(2億1000万年から1億4000万年ぐらい前)に当地域は浅い海底でした。
堆積物は,硬い頁岩や砂岩からできている桧枝岐(ひのえまた)層群となりました。
蛇紋岩が地下深くから地上に上がってきて,至仏山を作りました。
ジュラ紀の終わりから白亜紀には,多くの花崗岩が地下から上がってきました。 至仏山自身も花崗岩で貫かれています。
その後,第三紀に入り,いろいろな火山噴出が行われました。
この歴史はどうやってわかったか
尾瀬地域の地質調査は,野外の地層や岩石の観察,実験室内での岩石研究などで進んできました。
1933年の末野梯六氏の研究に始まり,1954年には久野 久氏らの総合学術調査がおこなわれました。
その後,ボーリング調査結果を加味して,研究は進みました。 最近は早川 由紀夫氏の火山研究が進んでいます。
おわりに,尾瀬ヶ原を歩きながら,足元の植物だけでなく,遠くの山々をちょっと見上げてください。
そして,この山々の活動のおかげで,尾瀬ヶ原ができたのです。
そうすると,今まで,数億年という時間が尾瀬ヶ原にあるのです。
少し尾瀬を見る目が変わったでしょうか。
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