静岡県:浜名湖を閉じた砂はどこから来たのか
地形の特徴

海跡湖,汽水湖,津波,明応7年地震

標高段彩図と地質図の三次元イメージ:浜名湖とその周辺
地図上で1回クリックすると,産総研・地質調査総合センターの「1/20万 シームレス地質図(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。

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  • 第四紀更新世の頃,浜名湖は浅い内湾でした。 これは,ほぼ定説になっています。 その後については,以下に示す二つの学説があります。
  • 「池谷,2000」は論文『浜名湖の生い立ち』のなかで,『3000年前頃,新居側と舞阪側から砂堤が延びるとともに浜名湖の淡水化が進行した。』と述べています。
  • 一方,「加茂,2007」は論文『浜名湖には淡水の時代はなかった』の中で,『砂嘴(砂堤)は東側のみ存在し,西側のはあり得ない』と『淡水湖であった事実は無い。』と述べています。
  • 確実なのは,明応7年8月25日(1498年9月20日)の「明応地震(南海トラフ地震)」による大津波で,太平洋と浜名湖を分断していた砂州が切れて,海水が浜名湖の中に進入したことです。
地形の変遷(古地形図) :浜名湖とその周辺
  • 1890年頃(①)の古地形図と最新の地形図を比較すると,浜名湖の北部から西部にかけての湖岸線はほとんど変化していないのに対し,南部から東部にかけては大きく変化していることがわかります。 その変化の大半は,「干拓」あるいは「埋立」と思われます。
  • 浜名湖の湖口について,地形変化状の特徴は 舞阪からの砂州は成長する傾向にある と言うことでしょう。
    舞阪方面には「天竜川」があるので,その影響なのかもしれません。
  • 1980年頃(⑤)に「今切口」が整備されましたが,それ以後に干潟の一部が「砂洲」になったようです(単なる印象で,詳細検討は未実施です)。
【地上・現場・空中写真】

天竜川と浜名湖は実に近いのですね。
【記事・引用情報・参考情報】

【記事】

  • 浜名湖の西側には,長大な浜辺を有する「渥美半島」が横たわっています。
    しかし,渥美半島の大半は,いわゆる「洪積台地」であって,砂丘はありません。
  • 浜名湖の東側には有名な「中田島砂丘」が存在します。 その東側が天竜川なので,浜名湖を閉塞した砂嘴や砂州の供給元は天竜川だろうと,普通は考えますが,二つの学説が決着するのはいつのことになるのでしょうか。
  • いずれにしても,新居側の砂の起源が天竜川であれば決着するのでは,と想像しますが。

【引用情報】

【参考情報】

【お断り】