茨城県:元々は浅い海だった霞ヶ浦
地形の特徴

海跡湖,常陸台地,利根川東遷事業,淡水湖

標高段彩図と地質図の三次元イメージ:霞ヶ浦とその周辺
標高段彩図上で1回クリックすると,産総研・地質調査総合センターの「1/20万 シームレス地質図」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。

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  • 「常陸台地」に取り囲まれている「霞ヶ浦」は,後期更新世(約20万年前)の頃は「古東京湾」と呼ばれる浅い海の一部でした。
  • しかし,その後約2万年前頃の「氷期」の訪れや大地の隆起と相まって,陸地へと変わりました。 現在,「常陸台地」と呼ばれているところです。
  • 完新世に入り「縄文時代」になると「縄文海進」が始まり,海面が上昇しました。 常陸台地の中には多くの入江が形成されたのです。
  • 鹿島灘に沿って流れる潮流により土砂が運ばれてきて入江の口に堆積したため,次第に太平洋から切り離されたのです。
  • 江戸時代になると「利根川の東遷事業」が開始されて,それまで江戸湾に流れていた利根川を今の位置に移す工事が行われました。
    結果的に,霞ヶ浦は淡水湖へと変わったのです。
地形の変遷(古地形図) :霞ヶ浦とその周辺
地形図(地図タイル)上で1回クリック,今昔マップ on the webの「古地形図(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。
  • 霞ヶ浦の古地形図(1894年~1915年)と現在の地理院タイルを比較してみると,霞ヶ浦とその周辺のうち大部分の地形は殆ど変化していないようですが,最も南部側の沖積低地の部分は大きく変わっていることがわかります。 多くの入江や中小河川が干拓により耕作地(水田)に変わったのです。
  • 標高段彩図でもわかるように,最南部を除いた湖岸の大部分が標高の高い「常陸台地」となっているので,湖自体に手を加えるような事業が無かったものと思われます。
【空中写真】
【記事・引用情報・参考情報】

【記事】

  • 「常陸台地」は,茨城県の中部から南部にかけて広がる「海成段丘」で,更に「鹿島台地」,「行方台地」や「潮来台地」など7つの台地に細分されています。
  • 霞ヶ浦周辺の常陸台地を流れる中小の河川の形式は,典型的な「樹枝状河流型」となっています。 地質が均一であるという証拠ですね。

【引用情報】

【参考情報】

【お断り】