東京都:伊豆七島の火山地形
    [伊豆大島,利島,新島,式根島,神津島,三宅島,御蔵島]
地形の特徴

活火山,火山地形,火口,溶岩流,火砕流,海食崖,砂浜海岸,火山島

案内用三次元イメージ : 伊豆七島

「伊豆七島」は,伊豆諸島のうち「(伊豆)大島」から「御蔵島」までの有人島を指します。
大きく見ると,伊豆七島は「八丈島」,「青ヶ島」,「鳥島」,「西之島(新島)」を経由して「硫黄島」へと繋がる,
長い火山列(伊豆七島・硫黄島海嶺)の上に点在する火山島群を構成しています。
細かく見ると,「新島」,「式根島」と「神津島」は,「銭洲海嶺」と呼ばれている火山群で,「三宅島」と「御蔵島」とは微妙に異なっています。
地形の三次元イメージ・空中写真 : 伊豆大島

「伊豆大島火山」は,3~4万年前頃に海底火山として活動を開始しました。 当初は,玄武岩溶岩と火砕岩を噴出する「成層火山」でした。
約1400年前の爆発的噴火によって最終カルデラが形成されましたが,その後の噴火による噴出物で,カルデラの中の大半が埋められてしまいました。

「裏砂漠」の基本は,1684年と1778年頃の噴火によって流れ出してきた「玄武岩溶岩」が覆っているところです。
溶岩の上には,降下した火山灰や火山砂などが堆積しているので,砂漠と称したのでしょう。
一方,「櫛形山」の後ろは「風成堆積物」と言って,こちらは正真正銘の砂漠となっています(名称の位置が違う)。

2013年10月,台風26号がもたらした豪雨により,「御神火茶屋」近くの外輪山外側斜面で「表層崩壊」が発生しました。続きはこちらをどうぞ

那覇空港(左)と鹿児島空港(右)から羽田空港に向かう飛行機で撮影しました。
最近では,大島上空を飛行しなくなったようで,近景は中々撮影できません。
地形の三次元イメージ・空中写真 : 利島

「利島」の殆どは,新生代第四期後期更新世(約5万年前頃)に噴出した「玄武岩質の溶岩」から出来上がった火山島です。
島の最高点は「宮塚山」山頂で,その近くに「カジ穴」と呼ばれる噴火口があります。
この噴火口からは「玄武岩質安山岩溶岩」が流れ出しました。 実に今から1万1千年ほど前とのことです。
4万年ほど休止していた火山が再活動したという事例となります。 「死火山と言う用語が死語になった」という理由がわかりました。

「利島」の特徴の一つに,巨大な「海食崖」があります。 海岸近くの岩礁,「横石」近くの崖の高さは,実に250mもあります。
海食崖が無いのは,集落のある北側だけなので,崖を削り落とす程の大波は南からやってきたのか,と思いたくなります。
また,利島には砂浜がありません。 全て,磯浜と岩石・岩塊のみで,この点は「御蔵島」と同じです。
地形の三次元イメージ・空中写真 : 新島

「新島」は,多くの火山群から構成されている火山島です。 最も古い火山は,新生代第四期中期更新世(約15万年前頃)の「地内島」です。
新島本体に限ると,先細の北部ほど古く,南の「向山」が最も新しい,という傾向にあります。
空港や村の中心地のある所は,火山群と火山群の中間になっていて,降下した火山灰や侵食により運ばれてきた土砂が堆積しました。

「向山」は単一の火山では無く,「火砕サージ堆積物」,「火砕丘」と「溶岩円頂丘」から構成されているという,火山の集合体です。
一番下位は火砕サージ堆積物で,比高約100mという情報があります。 その上に,「火口1」~「火口4」で示す「火砕丘」が口を開けています。
「向山」と記したところが,扁平な溶岩円頂丘で,頂上には「しわ状模様」が残っています。
古記録の「扶桑略記」の886年6月29日(仁和2年5月24日)に,「安房国の南方海上で噴火があって,
降灰があった」との記録があります。 この記述は,向山噴出物のC14年代測定結果と矛盾は無いとのことです。

「根浮岬」のある山体が「新島山火山」という溶岩円頂丘で,年代は洪積世から完新世へ変わった頃,とされています。
メサのような形の「宮塚山火山」は,新島山火山とほぼ同時期に活動した,火砕丘と溶岩円頂丘による複合火山です。
「阿戸山(あっちやま)火山」は,1950年を起点として約1600年前に活動したと言われています。

「根浮岬」から「アジア磯」付近まで,斜面の急崖部分に地山が顕れているところは,2000年7月15日に新島近海で発生したM6.3の地震により崩壊した箇所です。
詳細情報(リンク先)を参考情報に記載してあります。
その他,新島は火山島なのに,異常?に「砂浜海岸」の多いことが特徴です。 「前浜」や「羽伏浦」の存在が大きいのですね。
地形の三次元イメージ : 式根島

「式根島」は,となりの「新島火山」と火山活動が連動した,と考えられているので,島全体が「式根島火山」と呼ばれています。
溶岩円頂丘から比較的粘性の高い「流紋岩質溶岩」が流出し,現在の式根島の骨格を形成しました。 その後,溶岩の上に火山砕屑物などが覆いました。

岩石海岸の所々に,小さな円形の湾が形成されています。
これらは,熔岩が海水に触れたことによる二次爆発(水蒸気爆発)により形成された,という説があります。
なお,熔岩が式根島を覆いつくした時期は,今から約1万年前である,が定説になっているそうです。
地形の三次元イメージ・空中写真 : 神津島

「神津島」は,複数の「火砕丘】と同じく複数の「溶岩円頂丘】から構成されている「火山島」です。
資料によると,神津島には少なくとも16個の,流紋岩質の「単性火山(火砕丘,熔岩円頂丘)】が存在します。
最も初期に活動した火山は,約5万年よりも古いと考えられている「砂糠山火山」や「祇苗島火山」などです。
その次は4万年前ともいわれている「那智山火山」や「高処山火山」です。

凡そ3万年前から2千年程前までの間,一部の火山活動はありましたが,神津島全体では比較的平穏でした。
2千年ほど前,「神戸山火山」や「花立火山」が活動し,それぞれ「溶岩円頂丘」が形成されました。
最も新しい火山が「天上山火山」で,838年7月29日(承和5年7月5日)から噴火が始まりました。

いくつもの「火砕丘」と「溶岩円頂丘」の集合体であるため,起伏に富んだ山容となっています。
地形の三次元イメージ・空中写真 : 三宅島

「三宅島火山」は,日本でも有数な活火山です。
2000年6月26日から始まった噴火は,火砕流の発生,陥没カルデラの形成,
二酸化硫黄ガスの大量噴出が続き,全島民の島外避難が行われるなど,大きな災害となりました。
三宅島火山の特徴は,比較的大きな「頂上火口」,山腹の「割れ目噴火」と,海岸近くの「爆裂火口」群です。

「1763年8月17日(宝暦13年7月9日)に始まった活動は,頂上噴火に始まりましたが,後,山腹の亀裂噴火へと変化したようです。
山腹火口群で最も低い場所にある火口活動が規模最大で,後に水が溜って「火口湖】となりました。 これが「新澪池」です。
しかし,1983年10月3日に発生した亀裂噴火による溶岩流が池に達し,発生した水蒸気爆発により池の水が蒸発・消滅しました。

三宅島火山の東~北斜面にも,無数と言ってよいほどの小さな火口が開いています。
驚きなのは,最近流れ出した溶岩流の近くに集落があることです。
噴火の監視体制の充実により,早期避難が可能となりましたが,いつでも避難するという準備と心構えが必要なことがわかります。

羽田空港に向かう飛行機で撮影しました。 約1万年前までにはできていたと想定されている「桑木平カルデラ」がよくわかります。
地形の三次元イメージ・空中写真 : 御蔵島

「御蔵島火山」の活動時期は,新生代第四紀後期更新世(約10万年前頃)と言われていますが,正確にはわかっていないようです。
「平清水川」が流れる開いた谷地形は,川による侵食ではなく,「一の森カルデラ」とも呼んでよいほどの「馬蹄形カルデラ】です。
「水かぶり根」の真上にある410m峰と,さらに上にある小丘は,いずれも5500年前頃の「溶岩円頂丘」です。
これにより,御蔵島火山は活火山に認定されました。

全周が「海食崖」である御蔵島ですが,わずかな緩傾斜地が島の北西にあります。 また偶然,この場所の海食崖は低いのです。
ここに集落があるのですが,今のような港湾施設が整備される以前では,冬の季節風の時には何日も船便が来なかったことでしょう。

羽田空港に向かう飛行機で撮影しました。 丁度,集落のある場所が正面です。
御蔵島には砂浜がありません。 全て,磯浜と岩石・岩塊のみで,この点は「利島」と同じです。
【記事,引用情報と参考情報】

【記事】

  • 2013年10月発生の浅層崩壊:原因は,台風26号がもたらした豪雨で,崩壊した場所は外輪山外側の尾根近くの斜面でした。
  • 単純な2層モデルと仮定すると,下層は,風成堆積物の「レス」と呼ばれる粒子の細かなシルト層です。細粒のため,水を通さない「不透水層」です。
  • 表層は,比較的透水性の高い降下火山砂層が堆積していました。豪雨によって表層の地下水位が上昇し,滑り摩擦の低下と浮力などで表層が崩壊した,と想定されています。続きがあります。興味のある方はここをクリックしてください。

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【参考情報】

【お断り】