安次嶺金満御嶽地下の壕(護部隊六分隊・整備科)(No.61)
      那覇市栄原2丁目(小禄中学校)
概略位置図

マーカーは,坑口の概略位置を示しています
現場写真 : 安次嶺金満御嶽地下の壕(護部隊六分隊・整備科)

出典 『1フィート運動10周年記念誌』,p.171,沖縄戦記録フイルム一フィート運動の会,1993年12月8日。

見取り図で「火炎放射の跡」と記載された坑口(A)。 2008年 2月撮影。

南側の坑口(B)。 鉄製の柵が設置されていますが,錆が廻っているので,かなり古い時代に設置されたものでしょう。 2008年 3月撮影。

西側の坑口(C)。 道路工事の際に現れたため,コンパネで塞いであります。 2009年 8月撮影。

「火炎放射の跡」と記載された坑口(A)の内部状況。 所々,崩壊が始まっています。 撮影:2009年 7月。

「坑口A」~「坑口B」の中間で,見取り図で「水のあるところ」と記載された箇所。 水深は50cm位でしょうか。 撮影:2009年 7月。

左は坑口(A)の閉塞状況で,右は坑口(C)の閉塞状況です。 恐らく坑口(B)も閉塞されたものと考えます。 撮影:2010年10月。

下記,推定位置図(想像図)で「矢印」の方角を撮影しました。 撮影:2018年 5月。
記事
  • 小禄中学校その周辺には,学校北側のNo.60壕,同じく南側のNo.61壕とNo.64壕の3つが存在しました。
  • 本No.61壕は,真玉御嶽壕と同様にカーブを描いた傾斜坑道が存在しています。 「螺旋状に登る」がそれですが,見取り図を見る限り出口はなかったようなので,掘削途中で(戦闘が激しくなって)放棄された可能性があります。
  • 本地下壕は,2010年度と2011年度の2箇年にわたり,コンクリート系材料(エア・モルタルか)による充てん工事が行われ,地下壕としては消滅しました。
  • 那覇市内には,本地下壕の他にもNo.38(県庁壕)やNo.60(小禄中学校壕)など,5箇所程度の地下壕に湧水による水たまりが見られます。
  • You Tube に工事記録の動画がアップロードされています。 「特殊地下壕対策 (№60,61宇栄原)埋戻し工事」で検索してみてください。
  • 一方,No.64壕は,坑口が閉塞されており,その存在を確認することができません。
  • また,No.64壕はNo.61壕の一部である,との見方もありますが,確定されてはいないようです。
引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日(調査番号):1993年5月29日(No.61)

  • 様 子 : 全長約450メートル。 井戸,トイレ,発電室らしきところがある。 火炎放射の跡。
         1フィート運動の会で92年11月より数回遺骨を収集,まだ残っている可能性がある
  • 形 態 : 構築
  • 使用者 : 日本軍
  • 遺 体 : 5~6体
  • 遺 品 : 懐中時計,腕時計,石鹸箱,焼け焦げた衣類,油壺
  • 土 質 : ニービ,クチャ,琉球石灰岩
引用情報・関連情報

引用情報

関連情報

  1. 那覇市立教育研究所の公開資料(小禄地区 No.14,No.13)
    記述を総合すると,No.61壕は資料のNo.14,No.64壕は資料のNo.13に該当します。