安次嶺金満御嶽地下の壕(護部隊六分隊・整備科)No.61
       ;那覇市宇栄原2丁目(小禄中学校)
写真撮影:2008年2月~2016年4月,2018年5月

出典 『1フィート運動10周年記念誌』,p.171,沖縄戦記録フイルム一フィート運動の会,1993年12月8日。

見取り図で「火炎放射の跡」と記載された坑口(A)。  2008年2月撮影。

南側の坑口(B)。 鉄製の柵が設置されていますが,錆が廻っているので,かなり古い時代に設置されたものでしょう。 2008年3月撮影。

西側の坑口(C)。 道路工事の際に現れたため,コンパネで塞いであります。 2009年8月撮影。

「火炎放射の跡」と記載された坑口(A)の内部状況。 ところどころ,崩壊が始まっています。 撮影:2009年7月。

見取り図で「水のあるところ」と記載された箇所。 水深は50cm位でしょうか。 撮影:2009年7月。

左は坑口(A)の閉塞状況で,右は坑口(C)の閉塞状況です。 恐らく坑口(B)も閉塞されたものと考えます。撮影:2010年10月。

下記,推定位置図(想像図)で「矢印」の方角を撮影しました。 撮影:2018年5月。
記事

・小禄中学校の校庭には北側のNo.60壕,南側のNo.61壕とNo.64壕の3つが存在しました。 地形図と照合すると,上図の「土砂多し」や「ドアの跡」とある入り口は,No.64壕の可能性 があります。

・No.61壕も,真玉御嶽壕と同様にカーブを描いた傾斜坑道が存在しています。 「螺旋状に登る」がそれですが,見取り図を見る限り出口はなかったようなので,掘削途中で(戦闘が激しくなって)放棄された可能性があります。

・本地下壕は,2010年度と2011年度の2箇年にわたり,コンクリート系材料による充てん工事が行われ,地下壕としては消滅しました。

・那覇市内には,本壕を含んでNo.38(県庁壕)やNo.60(小禄中学校壕)など5箇所ほどの地下壕に,湧水による水たまりが見られます。

・You Tube に工事記録の動画がアップロードされています。
 「特殊地下壕対策 (№60,61宇栄原)埋戻し工事」で検索してみてください。


        推定位置図(想像図)
引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日:1993年5月29日 No.61
 ・様 子:全長約450メートル。 井戸,トイレ,発電室らしきところがある。 火炎放射の跡。
      1フィート運動の会で92年11月より数回遺骨を収集,まだ残っている可能性がある。
  ・形 態:構築
 ・使用者:日本軍
 ・遺 体:5~6体
 ・遺 品:懐中時計,腕時計,石鹸箱,焼け焦げた衣類,油壺
 ・土 質:ニービ,クチャ,琉球石灰岩

関連情報

① 那覇市立教育研究所の公開資料(小禄地区 No.14,No.13) 記述を総合すると,No.61壕は資料のNo.14,No.64壕は資料のNo.13に該当します。