| 石部隊野戦病院分院の壕(No.28)那覇市識名4丁目 |
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| 概略位置図 |
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![]() マーカーは,坑口の概略位置を示しています |
| 現場写真 : 石部隊野戦病院分院の壕 |
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![]() 病院(分院)として使用されたガマの入口(坑口)。 千羽鶴などは修学旅行の生徒が備えたものでしょう。撮影:2016年4月。 360度パノラマビューかこちらにあります。 是非,ご覧下さい。 |
![]() 坑口部分を中から見たところです。 左のブロックは拝所と拝壇です。 クチャの床はしめっており,かなり滑る状態です。 撮影:2016年4月。 |
![]() 天盤や壁で茶色く変色している部分は,戦後に崩落したと思います。天盤は煤だらけで,比較的安定しているようです。 修学旅行の生徒が体験学習で入る壕のためか,床はかなり締め固められています。 撮影:2016年4月。 |
![]() 誰でも自由に入れる壕のせいでしょうか,「死」の落書きが2013年1月に確認できます。 事務局では2018年5月にも撮影しましたが,スプレー文字は風化もせずに残っています。 |
![]() (左)奥に続く鍾乳洞その1。鍾乳石が切り取られていますが,切断面もすすで汚れているので,壕として使う際に,と思います。 撮影:2018年5月。 (右)奥に続く鍾乳洞その2。 5mほどでその1に繋がっています。赤茶けた壁の部分は、戦後に崩壊したものでしょうか。 撮影:2018年5月。 |
![]() 遺品と思われるものが並べられていました。 1フィートの会の報告では無し,とありますが。 撮影:2018年5月。 工具らしき鉄製品は,明らかに新しいもののようですが,どのような状態だったかがわからないので,判定できません。 |
![]() 360゜パノラマビューです。 画像をクリックすると拡大画像を表示します。「CC BY」ライセンスで公開します。 撮影:2018年5月。 |
| 記事 |
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| 引用文献[1フィート運動の会 活動報告] |
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調査日(調査番号):1992年10月18日(No.28)
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| 引用情報・関連情報 |
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引用情報
関連情報
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