第三十二軍司令部 首里壕(No.01)那覇市首里当蔵町(首里城公園)
概略位置図

マーカーは,4施設からなる「トーチカ」の概略位置を示しています。
地下壕の概略位置と現地の説明板

第三十二軍司令部壕の形と位置はイメージです。実際の状況とは異なっている可能性があるので,ご注意ください。
三十二軍司令部壕見取図はこちら , 出典: 沖縄戦の記憶・分館-ガマ所在地南部

トーチカ近くに設置されている説明板(部分)。
現場写真 : 第1トーチカ

第1坑道口近くの「第1トーチカ」です。撮影 : 2016年04月(以後すべて)

「第1トーチカ」の内部です。 すぐ右に曲がっています。
現場写真 : 第2トーチカ

第1坑道口近くの「第2トーチカ」です。 向かって右の入口は大きく,戦車用の掩体壕だったのかもしれません。

「第2トーチカ」,左側入口です。

「第2トーチカ」,左側入口の内部です。

「第2トーチカ」,右側入口です。

「第2トーチカ」,右側入口の内部です。 崩壊が激しくて,中には入れません。
現場写真 : 第3トーチカ

第1坑道口近くの「第3トーチカ」です。

「第3トーチカ」の内部です。 どう見ても,普通の部屋のように見えます。
現場写真 : 第4トーチカ

第1坑道口近くの「第4トーチカ」です。

「第4トーチカ」の内部です。 左の奥には,埋められた入口があります。
記事
  • 第1坑道口跡をたずねましたが,案の定見つからなかったので,現存するトーチカの写真を掲載します。
    「跡」の意味は,第1坑道口は既に埋められて露出していないからです。
  • ここに写っている4箇所の構造物は全て「トーチカ」と言われる掩体壕の一種で,それぞれが独立したコンクリート造りです。
  • よく観察しましたが,銃眼らしき構造がありませんので,トーチカとはいうものの事務所か倉庫だったのかもしれません。
  • トーチカの番号は,説明用に事務局が作成したものです。
引用文献[1フィート運動の会 活動報告]

調査日(調査番号):1992年7月2日, 1993年3月6日(No.01)

  • 様 子 : 6ヵ所あった入口の内現在入れるのは2ヵ所。 第4坑道入口(金城町・新垣養蜂園の裏)から約30メートル,
         第5坑道入口(県立芸大-元琉大男子寮の南東斜面)から約40メートル入れる状態。
         両坑道とも至る所落盤しており、第5坑道の奥からは水が湧き出ている。 ➡見取図
  • 形 態 : 構築
  • 使用者 : 日本陸軍
  • 遺 品 : 軍靴,ビールビン,薬ビン
  • 土 質 : クチャ,琉球石灰岩,ニービ
引用情報・関連情報

引用情報

関連情報

  1. 旧日本軍第32軍司令部壕調査」, Y-Tube。 2009年6月3日、旧日本軍第32軍司令部壕の調査を行いました。 首里城直下に・・・・・。
  2. 「第32軍司令部壕」,沖縄の戦跡ブック『ガマ』,pp.62-pp.630,沖縄県高教組教育資料センター編集,2009年,ISBN978-4-903042-16-9
  3. 「第32軍司令部壕」,沖縄の戦争遺跡,pp.28-pp.31,沖縄県平和祈念資料館編集,2007年,ISBN978-4-903042-14-5
  4. 「a.第32軍司令部壕と周辺遺跡」,沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅳ),沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書第5集,pp.43-44.,2004