沖縄戦の記憶:那覇市のガマ・特殊地下壕の特徴
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以下の区分(評価)は2018年8月時点のものです。
那覇市が実施した埋め戻し工事情報などから推定した結果なので,完全では無い可能性があります。 ご留意下さい。
今後,お断りすること無く,区分(評価)を変更・加筆・削除する場合があり得ます。

特 徴
項   目 該 当 地 下 壕 備   考
対策済み地下壕
(推定含む)
9, 10, 11, K17, 24, 25*,27?, 29, 30, 31, 32, 36, 37, 44*, 47*, 52, 54, 55. 56, 57,
60, 61, 62, 63, 64, 74
*は,一部対策済み
No.27は,未確認
琉球石灰岩の地下壕 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 16, 17, k17, 18, 19, 20, 21,
22, 23, 24, 25, 26, 27, 28, 29, 30, 31, 32, 33, 34, 35, 36, 37, 38, 39, 40,
41, 42, 43, 44, 45, 46, 47, 48, 49
ニービとの重複もあり
ニービの地下壕 46, 50, 51, 52, 53, 54, 55, 56, 57, 58, 60, 61, 62, 63, 64, 70 石灰岩との重複もあり
地下水がある地下壕 22, 33, 38, 39, 60, 61 事務局確認分のみ
位置が不明確な地下壕 4, 5, 12, 15, 16, 17, 36, 40, 58 地図上の位置は不正確
戦争遺跡とすべき地下壕 1, 2, 26, 28, 38, 41, 51, 58 事務局独自の案
説 明
  • 地下壕の番号は,『一フィート運動十周年記念誌』に掲載されている番号をそのまま利用しました。
  • 首里城内から始まり,その周辺から市内中心部に進み,田原や宇栄原を含む小禄地区が最後尾になっています。
     その後に行われた那覇市史跡巡り案内講師による『那覇市内戦跡(壕)分布調査報告書』や,那覇市が進めている「特殊地下壕対策調査・測量・設計と同工事」においても,この番号が踏襲されていました。
     なお,那覇市の資料では,80を越える地下壕が存在していますが,75番以後についての詳細が公表されていないので,ここでは掲載していません。
  • 国場川の北側である首里地区,識名地区,繁多川地区,牧志地区及び楚辺地区の地質は「琉球石灰岩」です。 これらの地域では,自然由来のガマ(鍾乳洞)やアブ(ドリーネ状の窪み)をそのまま,あるいは人工的に拡幅したりして,地下壕(当時は防空壕)として利用しました。
  • 国場川の南側は山下地区を除き,概ね「ニービ(小禄砂岩)」が主体で,部分的にクチャ(風化泥岩)が出現します。 小禄地区に代表されるこれらの地域の地下壕は,全て人の手で掘削されているため,厳密的な意味でのガマやアブではありません。
  • これらの地層の中で最も水を良く通す地層は,琉球石灰岩の空洞部,次いでニービです。
  • クチャは琉球石灰岩の下位にも分布しているため,那覇市内のほぼ全域に存在すると考えられます。 クチャは「不透水層」に分類されているように殆ど水を通さないので,クチャに穴を開けて水を溜める井戸として利用されているケースが散見されます(水が湧き出す井戸ではありません)。
最終編集日:2021年6月24日