沖縄陸軍病院 南風原壕群 20号 概略住所:沖縄県南風原町喜屋武
概略位置図

マーカーは,坑口の概略位置を示しています。
現場写真 : 沖縄陸軍病院 南風原壕群 20号

天井(天盤)の黒い部分は,火炎放射機によって焼かれた跡。 床には,支保工に使われた木が焼け残っています。 撮影 : 2016年11月(全て)。

21号壕への連絡通路。 パンフレットには「女子学徒たちの休息所」とあります。 火炎放射により焼けただれています。
崩落(剥離)が進んでいますが,見学者による湿度上昇のせいで無いことを祈ります。

(左)黒い部分は火炎放射機によって焼かれた跡で,茶色の部分は崩落によって鉄分の多い?泥岩がむき出しになった部分です。
鮮やかな色をしているので,比較的新しい崩落と言えます。
毎日のようにガイドが巡回しています。 異変があれば気づくことができるでしょう。
(右)上と同様の現象ですが,表面を鍾乳石(石灰化)が覆っています。 終戦直後に発生した崩落でしょうか。

砂岩や泥岩がむき出しになっている壁です。 この区間は,鉄の棒でガードされています。 壁に直接触れないようにするためでしょうか。
左には,応力計か傾斜計のようなセンサーが設置されています。 壕内の気温は約27゜Cで,湿度は約85%もあります。
右側には,酸素濃度を測定するセンサーが設置されています。 No.4とあるので,最低でも4箇所に設置されているようです。

南風原文化センター近くに立てられている説明版。 左の説明では「公開準備」とありますが,2007年6月から公開されています。

(左)20号の入口近くでは,高校生が説明版や石碑などの清掃活動をしていました。  (右)南風原文化センターのパンフレット。
記事
  • 以下は、南風原町立南風原文化センターが見学者に配付するパンフレットからの引用です。
      『沖縄陸軍病院(球18803部隊)は,1944(昭和19)年5月に熊本で第32軍の陸軍病院として編成された。
      6月から那覇市内で活動を始めたが,同年10月10日米軍空襲によって施設が焼却し,南風原国民学校校舎に移転した。
      それ以降、第32軍野戦築城部隊の指導のもとで,字喜屋武(黄金森)と字兼城(現在の役場北側の丘)に約30の横穴壕が造られた。』 
      続きはこちらをどうぞ。
  • 本壕は,南風原町立南風原文化センター(098-889-7399)が管理しており,予約をすればガイド付きで入壕できます(料金は大人300円)
地下壕の概要
  • 様 子 : 総延長約2000m,幅約1.8m(1間),高さ約1.8m(1間)
  • 形 態 : 構築
  • 使用者 : 陸軍病院
  • 遺 品 : ピンセット,アンプルなどの薬品類,カーテンレールなど
  • 土 質 : 島尻層群砂岩(ニービ)
引用情報・関連情報

引用情報

関連情報

  1. 南風原町の戦跡: 沖縄陸軍病院 南風原壕群 : 南風原町
  2. 「沖縄陸軍病院壕」,沖縄の戦跡ブック『ガマ』,pp.70~71,沖縄県高教組教育資料センター編集,2009年,ISBN978-4-903042-16-9
  3. 「南風原陸軍病院壕」,沖縄の戦争遺跡,pp.34~35,沖縄県平和祈念資料館編集,2007年,ISBN978-4-903042-14-5
  4. 南風原陸軍病院壕群:沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅰ)―南部編―,沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書第5集,pp.52.-53.,2001