沖縄戦の記憶:沖縄地方のガマと地下壕(防空壕)の特徴
琉球石灰岩のガマ(鍾乳洞)を概ねそのまま利用した地下壕

        南城市の糸数壕(アブチラガマ)

 代表的な地下壕は,糸満市:轟壕(トドロンガマ・トロドンガマ)糸満市ひめゆり壕(チブラーアブ)南城市糸数壕(アブチラガマ)八重瀬町:ヌヌマチガマ・ガラビガマなどです。

 左の写真は,南城市の糸数壕(アブチラガマ)で,病院として使用されていました。

 石灰岩の天井(天盤)の黒い部分は,「アメリカ軍が,石油の入ったドラム缶に火を付けて投げ入れたために焼けた」,「火炎放射機によって焼けた」という説明がありました。

 アメリカ軍の侵攻に伴い,摩文仁など南方へ撤退すること伴って「重傷者が置き去りにされて多くの民間人と軍人が死亡した」という,歴史的な戦争遺跡です(合掌)。

 南城市南部観光総合センターに申し込むと,ガイド付きで入場することができます (有料)。

地下壕の例
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糸満市:轟壕(トドロンガマ・トロドンガマ)
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糸満市:白梅之塔 下の壕
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糸満市:ひめゆり壕(チブラーアブ)
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糸満市:アンディラガマ
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南城市:糸数壕(アブチラガマ)
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八重瀬町:ヌヌマチガマ・ガラビガマ
ガマやその上下の地層を人工的に掘削した地下壕

       那覇市の県庁壕(しっぼうじぬガマ)

 代表的な地下壕は,那覇市県庁壕(しっぼうじぬガマ)陸軍第三十二軍司令部首里壕那覇市城岳公園壕,などです。

 ダイナマイトなどの発破掘削で複数の鍾乳洞を連結しているケースや,新しく入り口を石灰岩の斜面に開けたケースなどがあります。
 いずれも,工事の規模が大きいことから,日本軍や行政府が人工的に掘削したものです。

 左(上)の写真は,県庁壕(しっぼうじぬガマ)の核心部分で,すべて琉球石灰岩の鍾乳洞です。
 中心の鍾乳石は御嶽(うたき)として利用されてきました。
 黒色の部分は糸数壕と同様に火炎放射機によるものです。

 左(下)の写真は,人工掘削の坑道の部分です。 天盤は琉球石灰岩,壁と床はクチャ(泥岩)層です。
 クチャ層は沖縄独特の地層で,キメが細かいので,お肌によいとされています。

 県庁壕は2010年に盗掘があったため,現在立入りが制限されています。
 心ないことは止めましょう。

地下壕の例
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那覇市・陸軍第三十二軍司令部首里壕
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那覇市:県庁壕(しっぼうじぬガマ)
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那覇市:城岳公園壕
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那覇市:石部隊野戦病院分院の壕
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那覇市:武部隊の壕?
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那覇市:希望ヶ丘公園の壕
ニービ(小禄砂岩層)やクチャ(泥岩)などを人工掘削した地下壕

       那覇市田原町の壕(1フィートNo.52)

        ことぶき山海軍壕入口の説明板

 代表的な地下壕は,那覇市・豊見城市海軍司令部壕那覇市ことぶき山海軍壕, 安次嶺金満御嶽地下の壕,などです。

 那覇市南部の小禄地区,豊見城市や南風原町にかけては,ニービ(小禄砂岩層:島尻層群の砂岩層)やクチャ(島尻層群の泥岩層)が分布しています。
 これらは軟らかいので人力で掘削しやすいことから,海軍基地であった旧小禄飛行場(現那覇空港)近くの小高い山には,実に多くの地下壕が掘削されました。

 左(上)の写真は,那覇市小禄地区に存在した「田原町の壕(1フィートNo.52)」です。 赤茶色の部分は,火炎放射機で焼かれた跡です。 また,床の大きな凹凸は,戦死者を捜すために掘削した跡で,実際に戦死者が見つかっているそうです(合掌)。
 本壕は,那覇市による特殊地下壕対策政策により,埋め戻されました。

 左(下)の写真は,ことぶき山海軍壕の入り口に置かれている説明版です。
 この地下壕は,ゆいレール小禄駅近くの那覇市の田原公園内に現存するので,近くに行かれたら是非立ち寄ってみてください。 柵があって中には入れませんが,柵越しに中の状況を窺うことができます。
 高台にあるので,米軍の飛行機の見張所としても使用されていたようです。
 雰囲気的には,海軍司令部壕とよく似ているようです。

地下壕の例
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那覇市・豊見城市:海軍司令部壕
Photo 2
那覇市:ことぶき山海軍壕
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那覇市:安次嶺金満御嶽地下の壕(護部隊六分隊壕)
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那覇市:(仮)円星寺裏の壕
Photo 5
南風原町:陸軍病院壕
Photo 6
南風原町:ナゲーラ壕(第六十二師団野戦病院壕)