山 ―その生ひ立ちなど―
山 ―その生ひ立ちなど― 出典 : 風景あるくの記 pp.93-95.

 山,もっと端的にいえば尾根と谷の組み合わさったもの,また急斜面の組み合わせともいえる。 そして尾根と谷が一ヶ所で集まる部分に高い頂上をもった独立峯がある。 このような峯には大てい名前が付けられて,他の尾根と区別されている。 というよりも区別したいためにわれわれの祖先が名付け親になったのであろう。

 風土記に出てくる山の名を見ると,いろいろとその名付けた由来を記している。
  大法山(おおのりやま) 品太の天皇,此の山に大きみ法を宣りたまひき,故大法山という。 [播磨国風土記,揖保郡]
  鈴堀山(すずほりやま) 品太の天皇,巡り行でまし時,鈴,此の山に落ちき。求むれども得ず。乃ち,土を掘りて求めき。
     故鈴堀山という。 [播磨国風土記,詫賀郡]
  褶振の峯(ひれふりのみね) 大伴の狭手彦の連,発船して任那に渡りし時,弟日姫子,此に登りて,褶を用ちて振り招きき。
     固りて褶振の峯と名づく。[肥前国風土記,松浦郡]

 また出雲国風土記の中には次のような簡単なものもある。
  長柄山(ながらやま) 郡家の東南のかた一十九里なり。 [出雲国風土記,神門郡]
  鳥上山(とりかみやま) 郡家の東南のかた三拾五里なり。 [出雲国風土記,仁多郡]
 しかしなかには,
  高麻山(たかさやま) 郡家の東南の正北一十里二百歩なり。 高さ一百丈,周り五里なり。 北の方に樫,椿等の類あり。
     東と南と西と三つ方は,竝びに野なり。 古老の伝えていえらく,神須佐能袁命の御子,青幡佐草日子命,
     是の山の上に麻蒔き殖ほしたるひき。 故,高麻山という。 [出雲国風土記,大原郡]
 とあり中々丁寧に説明が加えられている。 しかし常陸国風土記や播磨国風土記に比べて簡単なものが多いのはどういう理由なのかわからない。

 昔の人が山に対して持っていた感情は信仰とおそれであったようだ。 しかし次の常陸国風土記筑波郡のところには,今日のハイキングのはじまりともいえる楽しい記録がみられる。
  筑波山(つくはやま) それ筑波岳は,高く雲に秀で,最頂は西の峯崢しく嶸く,雄の神と謂ひて登臨らしめず,唯,
     東の峯は四方磐にして,昇り降りは峡しく屹てるも,其の側に泉流れて冬も夏も絶えず。 坂より東の諸国の男女,
     春の花開くる時,秋の葉の黄づる節,相携ひ駢闐,飲食を斉賚て,騎にも徒にも登臨り,遊楽しみ栖ぶ。
     [常陸国風土記,筑波郡]   -後略-

山 ―その生ひ立ちなど― 出典 : 風景あるくの記 pp.95-97.

 やまはそれが火山であつても,またそうでなくても,昔は一つの国の城壁となり,そのまま国境であった。 ということは地上の文化が人によって広がるとき大きな障壁になったのである。 その山が例え低くあろうとも,山の高さは問題ではなかった。 これは日本ばかりでなく世界共通の現象である。 もちろん高い山と低い山が隣り合っていれば低い山の方が交通路として選ばれるのは当然のことで,この意味で峠は文化の排出口でもあり注入口でもある。

 今日われわれが山と呼ぶものの中で,火山を除いては,大きな地殻運動の結果生まれたものもあり,中学・高校の教科書の図にあるような侵食の段階(幼年期,壮年期,老年期)を経てできあがったものもある。 そして,現在の地形は,今われわれが眼の前に見ている山々は,休むことのない侵食の力によって,美事に彫刻されている。 そしてこの力は地表がある限り続く。

 地表に侵食が加わるとき,地表をつくっている岩石の硬さや軟らかさの状態またその土地の緯度,気候などによって同一種類の岩石であっても,侵食されて生まれた地形は,必ずしも似ていない(写真41・42参照)。

Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 播磨国風土記より 大法山(おおのりやま)
  • 現在「朝日山」と呼ばれている大法山は, 山陽本線の網干駅のすぐ北側にある標高88mのちょっとした丘です。
  • この付近には「揖保川」や東の「市川」などが形成した広大な「沖積平野」が広がっており,その中に大法山(朝日山)を始めとする大小の山や岡が広範囲に分布しており,まるで「多島海」のような風景を呈しています。
  • そのような中で,大法山は非常に目立った山だったのか,あるいは山の高さが手ごろで登り易かったのか,と想像します。
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 播磨国風土記より 鈴堀山(すずほりやま)
  • 地形図上では無名峰である「鈴堀山」は,加古川の中流の西脇市街地を眺める絶好の位置にありますが,空中写真を確認すると山頂付近はうっそうとした森のようで,あまり眺望は望めないようです。
  • この付近の地質は,中生代後期白亜紀・後期に某火山から噴出したデイサイト・流紋岩の大規模火砕流(岩石は溶結凝灰岩か)です。
  • 火砕流が流れてから7千万年かそれ以上の時間が経過しているため,本ページの写真42のように,丸みを帯びた山容を呈しています。
  • 参考情報 : 西脇市観光協会 > 日本のへそ・西脇十山 10和布山・鈴堀山
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 肥前国風土記より 褶振の峯(ひれふりのみね) 
  • 現在は「鏡山(領巾振山)」と記載されている「褶振の峯」は,いわゆる「佐用姫」伝説で有名な観光地と化しました。
  • 「ひれをふって夫の無事を願った」と肥前国風土記に記されている「弟日姫子(おとひめこ)」が,後の世の万葉集では「佐用姫」として掲載されたのですが,ヒロインの名前がどうして変わったのかはどこにも資料がありません。
  • 佐用姫伝説からか,山頂には多くの神社が建立されています。
  • 「虹の松原」や「松浦潟」を望む絶好の場所とあって,山頂までの自動車道と展望台などが設置されていて,観光の眼玉となっています。
  • 参考情報 : 人文研究見聞録 > 肥前国風土記 現代語訳 > 二、松浦佐用姫伝説
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 出雲国風土記より 長柄山(ながらやま) 
  • 出雲国,神門郡(かんどぐん)に設置された郡家(こおりのみやけ : 郡役所)の場所は,神戸川(かんどがわ)左岸の出雲市古志町の本郷遺跡とされています(吉田,2018)。
  • 長柄山はその「郡家から南東方向に19里」離れた「現弓掛山」と推定されていることから,地形図上で距離を測ってみると 約9kmが得られました。 1里は470m程になりますが,さてこれは正しいのでしょうか?
  • 長柄山とその周辺の山は,新第三紀 中新世の中期(約1300万年前頃)に活動した安山岩類の貫入岩です。
  • 地上に噴出することなく地中で冷えて固まった岩石なのですが,その後の侵食によって当時の地表近くの地層は跡形もなく消え去り,貫入岩そのものが地表に顕れたことになります。
  • 参考情報 : 吉田 薫 : 出雲国風土記に載る交通路の解読―1300年前の実情,島根県技術士会,平成30年度(2018年度)研究報告,pp.1-20.,2018年
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 出雲国風土記より 鳥上山(とりかみやま)
  • 「船通山(1142m)」と呼ばれている「鳥上山(1142m)」は,仁多郡奥出雲町(北側)と日野郡日南町(南側)との境界にあって,この付近で唯一の1000m越えの高山?です。
  • 島根半島を「陸繋島」と化した二大河川は「斐伊川」と「神戸川」ですが,この鳥上山は前者である斐伊川の源流域となっています。
  • 鳥上山自体は中生代 後期白亜紀前期(約9,000万年前頃)に活動したデイサイト・流紋岩の「大規模火砕流(溶結凝灰岩など)」なのですが,周囲は古第三紀の暁新世~始新世(約6,000千万年前頃)にかけての「花崗岩」や「花崗閃緑岩類」が広く分布しており,かつては「たたら製鉄」とそれに伴う「鉄穴流し」が行われていた場所でもあります。
  • 参考情報 : 出雲国風土記現代語訳 > 仁多郡条:【四】 仁多郡の山野
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 出雲国風土記より 高麻山(たかさやま)
  • 「高麻山」は,雲南市を構成する旧加茂町の市街地にほど近い場所にある,低山ながらも独立峰です。
  • 加茂盆地の北西部に位置し,赤川流域を見晴るかすには良い場所であると思われますが,登山道の印は無いようです。
  • 加茂盆地の地質は,古第三紀 暁新世~始新世(約6,000千万年前頃)にかけての「花崗閃緑岩」が広く分布しており,その周辺は同年代の「花崗岩」が分布しています。
  • 古文書によると,赤川の上流で同じ加茂盆地内の旧大東町では,「たたら製鉄」や「鉄穴流し」が行われていたとのことなので,高麻山周辺でも同様ではなかったかと想像しています。
  • 参考情報 : 出雲国風土記現代語訳 > 大原郡条:【五】 大原郡の山野
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 常陸国風土記より 筑波山
  • 常陸国風土記で「筑波岳」と記されている「筑波山」は,男体山と女体山という二つの頂上から構成されている「双耳峰」です。
  • 関東平野の東北端にあって標高が900m弱もあるので,空気の澄んでいた当時は,遥か富士山までくっきりと眺められたことと想像します。
  • 筑波山の中腹以上は,中生代 後期白亜紀後期(約7,500万年前頃)の深成岩である「斑れい岩」で構成されています。
  • また,中腹から麓にかけては,それより新しい新生代 古第三紀 暁新世 ~始新世(約6,500万年前頃)の花崗閃緑岩類で囲まれています。
  • 参考情報 : 神話の森 > 口訳・常陸国風土記
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