横浜の砂嘴 ―外人墓地から港を見れば― |
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横浜の砂嘴 ―外人墓地から港を見れば― 出典 : 風景あるくの記 pp.80-82. |
横浜の砂嘴などというと,そんなものがあるのかと聞かれそうだ。 だが立派にある。 その砂嘴の発達と,横浜の町の変化を教えてくれたのは,恩師田中啓爾先生であった。 「甲府盆地」と並び「横浜の地理学的考察」は私の好きな論文である。 南の本牧台地の東端から北に伸びている砂嘴は,桜木町の東側まで来ている。 横濱では,台地の次に古い土地で現在ニューグランドホテル,外国商社,高級住宅のビルを始め多くの高層建築が,この砂丘の上に建てられている。 砂嘴の東側(東京湾側)にある山下公園からは,この高層建築物が一列に並んでいるのが見える。 砂嘴といっても幅はわずか二〇〇メートル前後のものであるから,この狭い幅にはそうたくさんのビルは建たない。
その理由は簡単で,市の中心に比べて古い土地のため,地盤がいくらか安定しているからである。 市の中心は干拓と埋立地で水位が高い低湿地で,ここに高層ビルが建ち,商店街がが多くなると足もとの沖積地からの地下水を多量に汲み上げるので,土地が縮む。
つまり地盤沈下を起す。昭和一五年頃すでにデパートの隣の薬局の二階がビルに頭をくっつけていたのを思い出す。 この埋立地の〆切の位置は現在の八丁畷の付近と思われる。
高い地下水位がこの土地の風景を一風変わったものにしている。 自然現象の発達より,人文現象の方が早いと自然は隠されてしまう。 しかし,大地の上にある人間生活は少なくともこの自然の影響を受けずにはいられない。 沖積地と洪積台地また砂嘴などそれがみえなくても,高層建築物の立地条件・交通路・住宅地などはいやでも土地に左右される。 これを忘れて人文現象にのみ注意を奪われて地理を説くのは困った傾向である。 地盤沈下のような災害におよんで始めて騒ぎ出してもおそい。 |
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 横浜開港以前の古地図と現在の標高段彩図,古横濱村[低地路微高地型集落 :はまへ] |
![]() (左)横浜港が開港する前の古地図(横浜市中央図書館 蔵書)。 元図を回転し文字などを挿入しました。 (右)現在の標高段彩図 |
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Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 現在の横浜港と背後の低湿地だった場所 |
三次元標高段彩図上でマウスクリックすると「三次元地形図(地理院タイル)(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。![]() |
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Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : ボーリング柱状図による砂嘴(砂礫層)の推定 |
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Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 外人墓地から港を見れば ・・・➡ 残念ながらほとんど見えません |
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2025年04月 |