荒川の段丘 ―地形は変わる世のならい―
荒川の段丘 ―地形は変わる世のならい― 出典 : 風景あるくの記 pp.62-63.

 東京を流れる隅田川は上流を荒川と呼び,水源は奥秩父の山々から集まり,秩父盆地を流れて峡谷を通り,いよいよ関東平野に出ようとするところに寄居の町がある。 寄居町より皆野町の間は峡谷となっている。 この峡谷には典型的な河岸段丘が発達している。 もちろん皆野町から上流にもあるが,この峡谷ほどではない。

 寄居町の南,荒川の対岸は絶壁をなして川にそそり立っている。 その上に鉢形城(はちがたじょう)がある(1473年から1590年まで約117年間にわたり城としての役目を果たした)。 背後に秩父の山を控え関東平野に面し,荒川の河岸段丘の上に立つこの城は四方が自然の流路を利用して堀としている。 自然の要害である。

 -中略-。 廃城になるまで全く使用されないことが二回ほどあったらしい。 それは城の周囲の地形を見れば,この城を維持するには少なからぬ努力があったことが推察できる。 堀として利用した小さな流れは豪雨の時(台風時)には,物凄い水量となり,城の側壁の土塁を簡単に崩してしまう力を持っている。 城の南の深沢川の川床は礫が多く,増水時,この小さな流れの侵食力は城壁に脅威を加えた。 これでは城の維持費は少なくなかったろう。 そのうえ城のある,この段丘面は,雨裂・雨溝が発達しやすくなる。

Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 鉢形城趾と河成段丘
三次元地形図上でマウスクリックすると「五万分の一地質図幅『寄居』(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。
  • 鉢形城の基盤岩(絶壁を構成する地層)は,「寄居酸性岩類(流紋岩溶結凝灰岩=火砕流堆積物)」です。 地質図によると「深沢川」の河床にも露出しています。
  • 基盤岩の上位の地表面は,地質図幅『寄居』で「tl1」と命名された「低位Ⅰ段丘堆積物」で覆われています。 荒川由来の「古扇状地」です。
    礫が主体の地層なので十分な地耐力がありますが,『風景あるくの記』の記述通り,豪雨時の侵食には弱い地盤となります。
  • 「鉢形城趾」の東側と南側を扼する「深沢川」の上流は,「古生層」と次の年代の「中生層」です。
    古生層や中生層の岩石は硬いために,侵食によって下流に流される過程で「礫」となり,城壁直下の河床には沢山堆積していることでしょう。
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 鉢形城趾
  • 「鉢形城」は荒川が削り出した断崖絶壁の上に造られた「平山城」です。 ちなみに河床からの高さは30mを超えています。
  • 同様に「深沢川」も荒川に向かって険しい「下刻侵食」を行った結果,幅は狭いながらも立派な峡谷を形成しています。
  • 城への出入り口は南西方向にのびる鞍状の場所のみとなり,容易に攻め込まれない地形であると思われます(当時の攻城兵器の性能から)。
  • 断崖絶壁は荒川の「攻撃斜面」です。 台風や梅雨末期の増水時,荒川がほぼ直角に曲がっているこの斜面への攻撃(側方侵食)力は極めて巨大であると想像できます。 しかも,絶壁の地質は流紋岩溶結凝灰岩なので,亀裂が多いと思われ,洪水時には岩壁の崩落がみられたことでしょう。
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