嬶(かかあ)天下と扇状地 ―上州名物はからっ風と―
嬶天下と扇状地 ―上州名物はからっ風と― 出典 : 風景あるくの記 pp.45-48.

 妙義・榛名・赤城これを上州の三山という。 この三山の麓一帯には,美事な扇状地が発達している。 これは火山の変貌のところで説明したが,三山を侵食した川が,堆積物を麓において広い裾野をつくった風景である。

 この広々とした原野は砂利と砂と小石からできている。 昔から耕作に難しく,水田はまれで畑作が主な地域であった。 真夏のころは今でも熱くやけた土の匂いが汽車の中に飛び込んでいっそう汗がひどくなる。 この扇状地の上に桐生・足利・高崎・伊勢崎と上州の織物生産地が並び,その歴史は古い。 この歴史を背景に嬶天下が生まれた。

 大宅壮一氏は「日本新おんな系図」の中で,カカア天下になった理由を①気候風土説,②歴史説,③賭博説,④早婚説,⑤機業説のうち,最後の機業説が一番有力なものとしている。 -中略-

 養蚕は娘の労働力が高く買われている。 繭の中から細い糸を引き出す仕事はとても男の仕事ではない。 嫁入り前には,立派な一人前の労働者となっている。 とうぜん亭主より女房のかせぎの方が多くなる。 だから一家のサイフの紐は自然と女房が握るようになり,男は女房に飼育してもらうのである。 -後略-

Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 赤城山南麓古扇状地
三次元地形図上でマウスクリックすると「1/20万 シームレス地質図(出典,下記)」を表示します。 ダブルクリックで元に戻ります。
  • 「関東造盆地運動」のほぼ中心地を目指して流れる「利根川」に向かって,下流となる南東方向を除く殆どの周囲から,多くの支流が押し寄せてきています。
  • それらの大多数の支流は,大なり小なりの「扇状地」を形成しました。 過去形なのは,現在は離水して河道が固定されているからです。
    ➡ 現在は,自身が作った扇状地を「下刻侵食」しているため,「扇状地性河成段丘」または「開析扇状地」と呼ばれています。
  • 河道が固定化されると,氾濫による土砂の来襲も無くなる傾向にあるため,地表面は風化による土壌化が進みます。 しかし,地中は扇状地形成期に堆積した大小の礫と粗砂という,透水性の高い地盤のままと考えられます。水田耕作には向かない地盤で,桑畑が多かったことが頷けます。
Kashmir 3Dによる「風景あるくの記」の再現 : 御坂山地北麓の扇状地

勝沼ブドウ園より御坂の山々を眺める。 山の手前の扇状地は全部ブドウ畑となっている。 『風景あるくの記』,p.51,第24図
左の山は「茶臼山(948m)」で,中央は「蜂城山(738m)」です。 左記の標高は「地理院タイル」によります。
  • 『風景あるくの記』中に記述されている「全部ブドウ畑」のど真ん中を切断して「中央高速道路」が建設され,更に「釈迦堂PA」も作られました。
  • したがって,川崎氏が1951年に描いた「地形スケッチ」とは,かなり状況が変わったかもしれません。
  • 事務局が勝手に名付けた「釈迦堂扇状地」は,「蜂城山」と「茶臼山」との間を流れる「京戸川」が作り出した現役の扇状地です。
  • 従って,堤防が建設されていない自然のままである場合,京戸川の河道は固定していないと考えるべきでしょう
    ➡ 洪水の度に河道を変えるかもしれない,という意味です。
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